2006-04-14 Fri
「モリニューに行きたい」
というある人が言った。
そして頷いた。
モリニュー。ウォルヴァーハンプトン(ウルヴァーハンプトン)・ワンダラーズのホームである。
通称ウォルヴズ、ウルヴズ。狼さんズ。
ウォルヴァーハンプトン、ウェストブロミッジ、ウォルソール、 キダーミンスター、あのあたりの、「バーミンガムからすこしだけ 離れた」都市都市の地域を、「ブラック・カントリー」と呼ぶ。 その由来は、土がもともと黒いからだとか、産業革命時 工場の煤煙でもうもうとしていたからだとか、諸説あるのだが。
自分にも気になってたまらん時があった。
なんせあの辺りにゃ超名門アストン・ヴィラに強豪バーミンガム・シティがバーミンガムの看板背負って立ってるわけで、その周辺部の ブラック・カントリーという言葉は、おそらく日本のメディアでは そうそうお目にかかれない言葉ではないだろうか。
しかしミッドランズあたりの人間と話してると、 かなりの頻度で出てくるのは、
「Wolves嫌い」
という言葉なのだ。
ヴィラでもブラム(Brum,バーミンガムの俗称)でもどこでもない、真っ先に嫌われるのはWolvesである。
そしてウェストブロムはさしおいて (しかし黒国のはずなのに、WBAだけ アクが弱いよーに思うのは自分だけだろか)、 サドラーズことウォルソールやハリアーズことキダーミンスターの メンツを観たりすると、ナニゲにWolves関連の名前が多かったりする。 嫌いなはずなんだけども。
んでもって有名なサッカーキチガイ、レッド・ツェッペリンの ロバート・プラントはWolvesの馬鹿サポで、さらに ハリアーズも可愛がってるという。
なんとなくね、あの辺りみるとね、 「Wolvesを中心とした黒国体系」が出来てるよーに見えるですよ。
あのアンディ・グレイ様のゴールで「欧州最強ノッティンガム・フォレスト」を2部ながらリーグ・カップで破り 初タイトルを手にした「Wolvesの1979年」
しかしその栄光もむなしく、4部まで落ちていた86年、 ライバルのWBAから獲得したストライカーは、 その次のシーズン87-88に、シーズン52ゴールを挙げ(←数は間違いじゃないです)、 、2シーズン合計105ゴール というバケモノゴール数字を挙げて2年連続昇格に貢献つーか 貢献とかいう言葉じゃ表現でけませんねですよもう。
それが伝説、スティーヴ・ブル。
「3部の選手ながらイングランド代表に選ばれた選手」でありました。
イングランド代表13キャップ、勿論2部3部に置いとくタマじゃありません。ヴィラどころか、 ユヴェントスすら話を持ちかけたとゆーのに、 ブルはのこりの全フットボール人生をWolvesに捧げ、 Wolvesのトップ・ディヴィジョン昇格を夢見続けたという。 しかし1995年、1997年とプレイオフで破れ、99年、305ゴール、 18度のハット・トリックを残して引退したのでありました。
激しいアップアンドダウンと、ブルの壮絶なロイヤリティと 桁違いのゴール数(2シーズンで二桁ってなんですかそれ・・・)、 なんかWolves見始めたら、 ヴィラ?けっ、森、、けっ、ユーヴェ、けっ、なブルと一緒に Pride of Black Countryのアドレナリン出っ放しになる気しますよ。
どうも自分の中でも「ブラックカントリー」というカテは ものすごくごろごろと重いのですけども、 そんな中でやっている人たちの持っている重さは 考えなれないほど重いのではなかろうかと、 そして、ブラックカントリーの連帯感が生まれているんじゃなかろうかと。
あなたのクラブに、ひとりでも「元Wolves」なキャリアがいたら、 物陰に5匹くらいは、「Wolves、もしくは ブラックカントリー物件」が隠れてると思いますよ (ゴ○ブリみたいなたとえですまん)。
余談:このエントリは、ミルウォールにリーが来てから ウルヴズサドラーズ物件が増殖したという事実及び レスターにウォルソールの伝説監督、 レイ・グレイドンが来たコトから「ぜってー今のレスター黒国で固まってるはずだー」という偏見キャッチボールのもとに書かれております。
というある人が言った。
そして頷いた。
モリニュー。ウォルヴァーハンプトン(ウルヴァーハンプトン)・ワンダラーズのホームである。
通称ウォルヴズ、ウルヴズ。狼さんズ。
ウォルヴァーハンプトン、ウェストブロミッジ、ウォルソール、 キダーミンスター、あのあたりの、「バーミンガムからすこしだけ 離れた」都市都市の地域を、「ブラック・カントリー」と呼ぶ。 その由来は、土がもともと黒いからだとか、産業革命時 工場の煤煙でもうもうとしていたからだとか、諸説あるのだが。
自分にも気になってたまらん時があった。
なんせあの辺りにゃ超名門アストン・ヴィラに強豪バーミンガム・シティがバーミンガムの看板背負って立ってるわけで、その周辺部の ブラック・カントリーという言葉は、おそらく日本のメディアでは そうそうお目にかかれない言葉ではないだろうか。
しかしミッドランズあたりの人間と話してると、 かなりの頻度で出てくるのは、
「Wolves嫌い」
という言葉なのだ。
ヴィラでもブラム(Brum,バーミンガムの俗称)でもどこでもない、真っ先に嫌われるのはWolvesである。
そしてウェストブロムはさしおいて (しかし黒国のはずなのに、WBAだけ アクが弱いよーに思うのは自分だけだろか)、 サドラーズことウォルソールやハリアーズことキダーミンスターの メンツを観たりすると、ナニゲにWolves関連の名前が多かったりする。 嫌いなはずなんだけども。
んでもって有名なサッカーキチガイ、レッド・ツェッペリンの ロバート・プラントはWolvesの馬鹿サポで、さらに ハリアーズも可愛がってるという。
なんとなくね、あの辺りみるとね、 「Wolvesを中心とした黒国体系」が出来てるよーに見えるですよ。
あのアンディ・グレイ様のゴールで「欧州最強ノッティンガム・フォレスト」を2部ながらリーグ・カップで破り 初タイトルを手にした「Wolvesの1979年」
しかしその栄光もむなしく、4部まで落ちていた86年、 ライバルのWBAから獲得したストライカーは、 その次のシーズン87-88に、シーズン52ゴールを挙げ(←数は間違いじゃないです)、 、2シーズン合計105ゴール というバケモノゴール数字を挙げて2年連続昇格に貢献つーか 貢献とかいう言葉じゃ表現でけませんねですよもう。
それが伝説、スティーヴ・ブル。
「3部の選手ながらイングランド代表に選ばれた選手」でありました。
イングランド代表13キャップ、勿論2部3部に置いとくタマじゃありません。ヴィラどころか、 ユヴェントスすら話を持ちかけたとゆーのに、 ブルはのこりの全フットボール人生をWolvesに捧げ、 Wolvesのトップ・ディヴィジョン昇格を夢見続けたという。 しかし1995年、1997年とプレイオフで破れ、99年、305ゴール、 18度のハット・トリックを残して引退したのでありました。
激しいアップアンドダウンと、ブルの壮絶なロイヤリティと 桁違いのゴール数(2シーズンで二桁ってなんですかそれ・・・)、 なんかWolves見始めたら、 ヴィラ?けっ、森、、けっ、ユーヴェ、けっ、なブルと一緒に Pride of Black Countryのアドレナリン出っ放しになる気しますよ。
どうも自分の中でも「ブラックカントリー」というカテは ものすごくごろごろと重いのですけども、 そんな中でやっている人たちの持っている重さは 考えなれないほど重いのではなかろうかと、 そして、ブラックカントリーの連帯感が生まれているんじゃなかろうかと。
あなたのクラブに、ひとりでも「元Wolves」なキャリアがいたら、 物陰に5匹くらいは、「Wolves、もしくは ブラックカントリー物件」が隠れてると思いますよ (ゴ○ブリみたいなたとえですまん)。
余談:このエントリは、ミルウォールにリーが来てから ウルヴズサドラーズ物件が増殖したという事実及び レスターにウォルソールの伝説監督、 レイ・グレイドンが来たコトから「ぜってー今のレスター黒国で固まってるはずだー」という偏見キャッチボールのもとに書かれております。
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